土と水と文明の寿命

世界の四大文明は水によって栄えたことは広く知られていますが、その寿命は何によって決まるのかあまり知られていません。
文明は土が汚れるとその寿命が尽きます。


人類は昔から環境を変えることで自分たちに合った生活していましたが、それは環境を破壊することで成り立っているといえます。
持続可能な社会とか電力環境の見直しとか言われますが、そもそも文明というシステムにはそのような構造はありません。


「人類は環境を消費する」とのスタイルは変わらない訳で、それをいくら覆い隠しても本質は変わらないのと同じです。
人類は、染色体の構造上、種として500万年程度しか存続できません。
その間だけ維持できるような社会システムを作れればいいですね。


土の浄化、というのは必要ですが、そこには日本人の穢れの意識が関係します。
日本人独特の潔癖症は、科学的な発想ではなく精神的な衝動のようなものを抱えています。
清めることは大事ですが、その根本となる動機が正しいのかという疑問も出てきます。


一般的に、適度なジョギングをするとポジティブになり活動的になります。
それに照らすと、文明の基礎代謝は何で、活性化とは何のことを指すのでしょう。


メタボが寿命を縮めることはよく知られています。健康を作り出すために体重を落とすことで寿命は延びます。
しかし、それは子どもが自ら行うことはできません。精神的に大人であることが求められます。
危機を感じたときに、人は成長します。成熟した社会であるには、誰もが危機に直面していることになるでしょう。


「7つの大罪」というのがあります。確か、ガンジーの言葉で、人の生き方で失ってはいけないものを並べたものです。
その中に、原則なき政治というのがあります。
原則とは、500万年経っても変わらないものです。しかし、現在の民主主義は時代の検証を経ていません。
原則のある政治を定義しようとすると、今考えられる政治の概念をはるかに超越したものになる可能性があります。


そんな可能性を求めるには、多数の同意が必要です。しかし、80対20の法則によりそういう人は常に少数派になるはずです。
多数派になるには世論の操作が必要です。しかしそれは原則ではないというジレンマが起きますね。
政治の寿命は文明の寿命よりも短いという証左でしょうか。