「イシューからはじめよ」を読んでない

読んでいませんが読書感想を書きます。

読書感想をぐぐってみたら、だいたいイシューがわかってきたので、実際にアウトプットできるか試してみようってことです。

イシュー。定義としては、3つの要素がある。
1イシューとは、本質的である
2イシューには、仮説がある
3イシューは、10分で答えが出る。

うん、わからない。言葉の使い方が安定していないですね。
イシューを問題と入れ替えても合致してしまうくらい、意味を捉えきれていません。
概念として未熟なら、当然クオリティも下がるというものです。

このままでは犬の道です。え?犬の道が何かって?ほら、お散歩コースってことですよ。ムダに自分のテリトリーの中を歩きまわって何かをしたつもりになるってやつです。

ではまず、イシューという言葉の使い方がなっていない、っていうのが最初のイシューってことでどうでしょう。

はい、間違い。
確かに、概念として認識しているかどうかは本質的だし、使ってみると他の語彙と入れ替え可能だった。さらに間違いっていうのもすぐに答えがでた。
だからイシューでしょ?いやいやいやくだらなくてどこが本質なんだと。


言葉の基本は、使っている人から真似るのが正しい。だから、読んでもいない本に出てくる単語の使い方が合ってるわけがない。
学習とは語彙と使い方を学ぶこと。
1次情報を大切にするよう、本にも書いてあったでしょう。
それを、感想文を読んで読んだ気になるっていう方が間違ってる。


今回のイシューは「ブログが書けない」から
「イシューからはじめよは書評を書くべき良書である」という仮説を立てて、
書評を読み比べて、学びが多いかを確認し、
読むであろう受け手を想定し、
イシューがあらわになるように書いてみた。
多くの人が肉体的感覚でイシューという言葉が使えない理由は、概念を解体していないからでしょう。

ほんとうに解決しなければいけない問題、「生命線」という単語が当てはまるような気がします。ただ、だいぶニュアンスが変わるからイシューを使いたくなるのもわかります。