句点が嫌いじゃない

句点が嫌いだ


句点。読点、はてな?いや、分かる。
句点が丸なのは明らかだ。
句読点、などとまとめられる事が多いのでどちらがどちらか分からない人も多い。不親切な記号だ。
記号だから、通常の文章では読まれない。そこが不自然だ、と思う人もいるだろう。
読まれない、といいつつ使っているではないか、と突っ込まれるかもしれないが、音読しないという意味に解釈してもらえるとありがたい。

音読のさい、呼吸にあわせて読点をつけたり、句点をつけたりする。
そういう癖がついているのだ。
だから、それを嫌うわけではない。
好みの違う人がいるのはきちんと了解している。
好き嫌いがあるのは自然だ。
文章を、それこそどんなスピードで読むかも個人に任されているのだから、視覚の範疇を区切ってしまう句読点にもの申す人がいてもおかしくない。
だけど、僕はそんな句読点が嫌いじゃない。
好き、というほどでもないが、嫌ってはいない。
よく使うからだ。
嫌ってもしょうがないじゃないか。
世の中には句読点原理主義の人もいるかもしれない。
よくある文章を綴ったほうが、摩擦がすくなくていいじゃないか、とか思ったりする。