ブログを書く理由

そういうのがあるかな。書くのは、書けるから。但し、内容には満足していない。日本語がかけていないから。
読みやすい日本語を心がけてはいるものの、前提みたいなのを書くのに非常に苦労しています。
普通の人が書くような文章、長ったらしくて結論がでなくて、似たようなフレーズを使いまわして尺を稼ぐような、それでいて臨場感を演出するような何ともいえない文章が書けません。
なぜなら、そういう文章があると読み飛ばしてしまうから。読んでいないものを再現する能力なんて持っていないんですよね。
しかし、中にはそういう文章を好む人もいるんですよね。きっちり前から文章をきちんと読んで、心のなかで再構成して、あたかも作者が感じたように読もうとする人が。
そういうのって出来るのかな。本当に作者って、思っていることを書いているんでしょうか。なかなか遠回りをして結論まで至らないようなこともあるでしょう。
または、文章で迷子になる人もいるでしょう。何を言いたいのか書いているうちに構造的におかしくなって前後の文脈で変わっていたり。まぁそこまでくると読んでいる人に申し訳ないと思ってしまうのです。
あなたが読んでいる文章にオチはありません。
こういう前置きをしてから書き始めると意外と親切だな、とか思います。

親切で思い出しましたが、細かい説明を出来る人って親切だなとか思います。
要は、蛇足とも思える多大な雑文も、親切心で表現力の限りを尽くして書いている、という可能性です。
人間には3つのタイプがいて、視覚、聴覚、体感覚で物事を捉えるそうです。
文章で(聴覚で)捉える人には文章だけで十分通じるものを、視覚が得意なひとのためにあたかもそこに物があるかのように表現する、なんていうのは読者を意識した親切です。
体感覚なら、ドキドキしたとか熱くなるとか、臨場感のある言葉を選ぶでしょう。
ネット釣り師のようにどこかにアンカーを入れて話を面白くするのはテクニックでしょうけど、動機が違うので親切とは言いがたいですね。

えっと、何の話でしたっけ?